— 名前を借りて、戻る場所の話 —
ヨギ。
ヨギーニ。
ヨガをしている私たちは、
もしかしたら、そう呼ばれる存在なのかもしれません。
本当のところ、
その言葉に強いこだわりがあるわけではありません。
名乗っているわけでも、
はっきりそう思っているわけでもない。
でも、不思議とその呼び名は、
今の自分の感覚に、
いちばん近いところにある気もしています。
ヨギという「役割」をまとっただけ
最初から、
ヨギになろうと思って
ヨガを始めたわけではありません。
身体を動かしたかっただけ。
少し、楽になりたかっただけ。
それが続いて、
気づいたら「ヨガをしている人」になっていて、
いつの間にか、
そんなふうに見られるようになっていました。
何かを成し遂げた、という感覚よりも、
そういう時間を過ごしている自分が、
ただ残っている。
そんな感じです。
ヨギらしさは、外から見えないところにある
ヨギと聞くと、
柔らかさや、強さや、静けさを
想像されるかもしれません。
でも、
自分が感じているヨギらしさは、
もっと地味なところにあります。
呼吸が乱れていることに気づけること。
心が急いていることを、認められること。
無理をしている自分を、
少しだけ引き戻せること。
それらは、
技術でも、成果でもなく、
感覚の話です。
ヨギという言葉は、
その感覚をまとめて呼ぶための、
便利な名前なのかもしれません。
芯になったのは、ヨガそのものじゃなく
続けていくうちに、
ヨガはだんだん、
「するもの」から
「戻るもの」に変わっていきました。
うまくいかない日。
考えすぎている日。
外の音が、大きすぎる日。
そんなとき、
ヨガをしている自分を思い出すと、
少し落ち着きます。
ヨギであろうとする、というより、
ヨガをしているときの自分に戻る。
それが、
今の自分の芯になっています。
ヨギであることは、帰り道を知っていること
ヨギかどうか。
ヨギーニかどうか。
正直、
どちらでもいいのだと思います。
ただ、
ヨガをしている自分が、
気持ちの帰る場所として、
ちゃんと身体に残っている。
それなら、
その言葉を借りてもいい。
ヨギという名前は、
自分を飾るためのものではなく、
迷ったときに
戻ってくるための目印。
今は、
そんなふうに感じています。

