動けない時間も、ちゃんと進んでいます

Body|からだという場所

― からだが教えてくれること ―

久しぶりに身体を動かすとき、人は少し不安になります。

「前はもう少しできたはず」
「思ったより動かない」

そんな感覚に、静かに戸惑うこともあります。

でも本当は、
動けない時間も、ちゃんと進んでいます。


思い出すという感覚

長く自転車に乗らなかった人が、久しぶりにまたがるとします。
最初は少しぎこちなく、ペダルも重く感じます。

けれど、少し進むうちに、身体が思い出していきます。

ヨガも、それとよく似ています。

「できるようになる」というより、
「思い出していく」感覚。

身体は、ちゃんと覚えているのだと思います。


怪我をしたインストラクターの話

怪我をしてしばらく思うように動けなくなったインストラクターがいました。

それまで当たり前にできていた動きができなくなると、
身体だけでなく、気持ちも少し揺れます。

「教える立場なのに」
そんな思いがよぎることもあったそうです。

けれど、できないことを隠さず、
小さな動きから始めました。

呼吸に合わせて、ほんの少しずつ。

そしてその時間は、
ひとりで頑張る時間ではありませんでした。

クラスの中で、生徒たちもそれぞれのペースで練習を重ねていました。
できる日もあれば、できない日もある。

その姿に背中を押されることもあったと言います。

「一緒にやっている」という感覚が、
何よりの支えになったそうです。

焦らず、比べず、
その日の身体と向き合い続けるうちに、

「あれ、少し動きやすい」
「前より、広がっているかもしれない」

そんな変化が、静かに戻ってきました。

からだの変化は、急いで手に入れるものではなく、
ともに過ごす時間の中で、少しずつ戻ってくるものなのかもしれません。


できない時間の意味

私たちはつい、「できること」に価値を置きがちです。

けれど、できない時間は、
身体の声をよく聞ける時間でもあります。

急がないこと。
比べないこと。
いまの可動域を、そのまま受け取ること。

それは派手ではありませんが、
とても深い練習です。


そして、もうひとつ

怪我をしたそのインストラクターは、こうも言っていました。

「動けない時間があったからこそ、
一緒にヨガを楽しむ時間のありがたさが、前よりも深くなった」と。

失ったように見える時間も、
実は、誰かと歩くための準備だったのかもしれません。

焦らなくても、
身体は、ちゃんと自分の速度を知っています。

そしてきっと、
ひとりで進んでいる人はいません。

動けない日も、
ちゃんと、進んでいます。