― 人間万事塞翁が馬 ―
「あのときの出来事、良かったのか悪かったのか。」
そんなふうに、あとから振り返ることってありますよね。
嬉しかったことが、いつの間にか負担になっていたり。
逆に、つらかった出来事が、後になって意味を持っていたり。
そんなとき、ふと思い出す言葉があります。
「人間万事塞翁が馬」
起こることに、すぐ意味をつけない
昔、中国のある老人が、馬を失いました。
周りの人は「それは不幸ですね」と言いました。
でも老人はこう答えます。
「いや、これが幸いになるかもしれない」と。
その後、その馬はたくさんの馬を連れて戻ってきました。
周りは「それは幸運ですね」と言います。
けれど老人はまた、こう言います。
「いや、これが災いになるかもしれない」と。
実際、その後に息子が落馬して怪我をします。
――良いことも、悪いことも、
その場ではまだわからない。
この話は、
出来事そのものよりも、
それをどう決めつけるかに問いを投げているように感じます。
ヨガの中にもある「まだわからない」
ヨガをしていると、似たような感覚に出会うことがあります。
今日は身体が重い。
思うように動かない。
そんな日は、
「調子が悪い日」と決めてしまいがちです。
でも、そんな日に限って、
呼吸が深くなったり、
余計な力に気づけたりする。
逆に、よく動ける日は、
どこかで無理をしていたりすることもある。
だからこそ、
その日の状態にすぐ名前をつけすぎないことが大切なんだと思います。
波のように、変わり続ける
波も同じなんです。
良い波に見えても、実は崩れやすかったり。
一見よくなさそうな波が、意外と長く乗れたり。
その瞬間だけを切り取って「良い・悪い」と判断するのは、
少し早すぎるのかもしれません。
人生も、身体も、呼吸も。
すべては流れの中にあって、
どこか一部分だけでは見えない。
「今はまだ途中」としておく
何かが起こったとき。
すぐに「これは良かった」「これは失敗だった」と
結論を出したくなることもあります。
でも、少しだけ間をあけて、
「今はまだ途中」
そう思っておく余白があると、
見え方が変わってくる気がします。
呼吸とともに、保留する
ヨガの時間は、
何かを決めつける場所ではなくて、
ただ、感じて、観て、
少しそのままにしておく場所。
良いポーズも、うまくいかない感覚も、
どちらも一度、呼吸の中に置いてみる。
すると、
そのどちらにも、少し距離が生まれます。
おわりに
起こることは、選べないけれど、
どう受け取るかには、少し余白がある。
人間万事塞翁が馬という言葉は、
「ポジティブでいよう」ということではなくて、
決めつけすぎないでいよう
というやさしい視点なのかもしれません。
今日の出来事も、
今の身体の状態も、
まだ、わからないままでいい。
呼吸とともに、
そのまま少しだけ、置いておきましょう。


