練習しない勇気も、ヨガの一部だと思っている

― 立ち止まることを選ぶ練習 ―


いつも同じように、マットに立てるわけではない

ヨガを続けていると、
毎回同じように練習できるわけではないことに、
自然と気づいていきます。

時間が取れない日もあれば、
体が重くて向かう気になれない日もあります。
理由がはっきりしないまま、
なんとなくマットから遠ざかることもあります。

そんなとき、
「今日はやらなかった」という事実だけが、
少し気になって残ることがあります。


練習しないことは、やめたことではない

練習しない日が続くと、
「ヨガから離れてしまった気がする」
そんなふうに感じることがあります。

でも実際には、
何もしていないように見える時間の中でも、
からだや気持ちは、ちゃんと動いています。

疲れていることに気づいたり、
無理をしていたことを思い出したり、
少し休みたかった自分に気づいたり。

練習しない時間は、
ヨガをやめた時間ではなく、
別のかたちでヨガと関わっている時間
なのかもしれません。


無理に続けない、という選択

「続けること」は、ヨガの大切な要素のひとつです。
でも、それは
毎回同じペースで動き続けることだけを
意味しているわけではないと思います。

今日は行かない。
今日は何もしない。
今日は、立ち止まる。

そうした判断を、
自分で選ぶこと。

それには、
意外と勇気がいります。


立ち止まることで、見えてくるもの

練習を休んでいるとき、
マットの上では見えなかったことが、
ふと浮かんでくることがあります。

・頑張りすぎていたこと
・比べる癖があったこと
・「やらなきゃ」に追われていたこと

動いていないからこそ、
気づける感覚もあります。

それは、
次にマットに戻るための準備のような時間
でもあります。


ヨガは、いつもマットの上にあるわけではない

ヨガは、
ポーズをとっている時間だけに
存在しているものではないと思っています。

立ち止まること。
様子を見ること。
何もしないで、呼吸だけを感じること。

そうした時間も含めて、
ヨガと付き合っている。

だから、
練習しない日があってもいい。
間が空いてもいい。

それもまた、
ヨガの一部だと感じています。


おわりに

練習しない勇気も、
ヨガの一部だと思っています。

続けるために、休む。
戻るために、立ち止まる。

その選択ができること自体が、
すでに練習なのかもしれません。

マットの上でも、
日常の中でも。
自分のペースで、
ヨガと付き合っていけたらと思います。