― 思い通りにならない日も、そのまま呼吸してみる ―
最近、「不自由に慣れる」ということを、ときどき考えます。
便利になることや、自由になることは、もちろん悪いことではありません。
できなかったことができるようになったり、選べるものが増えたりするのは、やっぱりうれしい。
でも一方で、思い通りにならないことを、すぐにどうにかしようとすることも増えたような気がします。
暑ければ涼しくしたい。
待たされれば早くしてほしい。
身体が動かなければ、いつものように動いてほしい。
ほんの少しの不自由にも、いつの間にかずいぶん敏感になっています。
けれど、暮らしていれば、どうしたって思い通りにならないことはあります。
そんなとき、すぐに状況を変えようとするのではなく、その中にしばらくいてみる。
最近は、そんなこともひとつの練習なのかなと思っています。
不自由に慣れる
天気もそうだし、身体の調子もそう。
誰かと一緒にいれば、自分の都合だけでは決められないこともあります。
ヨガをしていても、同じです。
昨日は気持ちよくできたアーサナが、今日は妙に窮屈だったり。
いつもなら届くところに、今日は手が届かなかったり。
そんなときに「もっと」と身体を動かそうとすると、呼吸まで窮屈になっていきます。
でも、今日はここまでなんだと決めて、その場所で何度か呼吸していると、できないことは何も変わっていないのに、不思議と気にならなくなることがあります。
身体が自由になったわけではありません。
不自由なまま、少し居心地がよくなった。
ヨガを続けていると、柔らかくなることや、できるアーサナが増えることだけではなく、こういうことも練習しているのかなと思います。
不自由を、すぐに取り除こうとしない。
できないなら、できないところで。
動かないなら、動かないところで。
その場所に少し慣れてみる。
そうすると、不自由そのものがなくならなくても、それに振り回されることは少しずつ減っていくのかもしれません。
不本意を受け入れる
そしてもうひとつ、最近考えるのが「不本意を受け入れる」ということです。
一生懸命やったからといって、思った通りの結果になるとは限りません。
自分では選ばなかったこと。
望んでいなかったこと。
「こんなはずじゃなかった」と思うこと。
暮らしていれば、そういうこともあります。
「受け入れる」というと、諦めることのようにも聞こえます。
でも、嫌なものを好きになる必要はないし、納得できないことを、無理に納得する必要もありません。
不本意なものは、不本意なままでいい。
ただ、「本当はこうだったはずなのに」と、起きてしまったことといつまでも争わない。
いまはこうなんだな、と一度その場所に立ってみる。
それだけで、次の呼吸が少し楽になることがあります。
考えてみれば、呼吸そのものも、いつも思い通りになるわけではありません。
深い日もあれば、浅い日もある。
穏やかな日もあれば、なかなか落ち着かない日もある。
それでも、今日の呼吸は今日の呼吸です。
変えようとする前に、まずその呼吸を感じてみる。
不自由に慣れることも、
不本意を受け入れることも、
もしかしたら、それとよく似ているのかもしれません。
思い通りにならないことがなくなるのを待つのではなく、思い通りにならない日にも、その場所でちゃんと呼吸ができること。
そう考えると、自由というのは、何でも好きなようにできることだけではないような気がします。
不自由なところにも、少し居場所をつくれること。
そして、不本意な今日にも、自分の呼吸を見つけられること。
それもまた、ヨガが教えてくれる自由なのかもしれません。
Mat & Breath
呼吸とともに、自分へ戻る。


