― 迷わない生命に教えられること ―
食べ終わったアボカドの種を、水につけておきました。
特別なことをしたわけではありません。種の下の方が水につかるようにして、ときどき水を替えるだけです。
しばらくすると種が割れ、根が伸び、やがて小さな芽が顔を出しました。それから少しずつ茎が伸び、今では驚くほどまっすぐに立っています。
土もなければ、肥料もありません。ただ、水があるだけです。
それでも、日に日に背を伸ばしていきます。
その姿を眺めていると、植物の生命力に驚かされると同時に、どこか羨ましいような気持ちにもなります。
迷うことなく、伸びていく
アボカドは、まっすぐ伸びようと努力しているのでしょうか。もちろん、そんなことは考えていないはずです。
昨日より成長しなければと焦ることも、ほかの植物と自分を比べることもありません。どこまで伸びれば十分なのか、どんな姿になれば正解なのか。そんな問いを抱えることもないのでしょう。
光のある方へ、水のある方へ。
自分に備わった生命の働きに従って、ただ伸びていきます。
そこには、ためらいも、見栄も、無理な頑張りもありません。まっすぐ伸びることを目標にしているわけではないのに、結果としてまっすぐ伸びているのです。
その自然さが、なんとも美しく感じられます。
考えることが増えるほど
一方で、私たち人間はどうでしょう。
何かを始めるときには、うまくいくかどうかを考えます。始めてからも、これでよかったのだろうか、もっと良い方法があるのではないかと考えます。
そして、いつの間にか周りと比べたり、思い描いた理想の自分と比べたりしています。
もちろん、考えることも、迷うことも、人間にとって大切な働きです。経験から学び、先を見通し、より良い選択をしようとする。それは決して悪いことではありません。
けれど、考えることが増えるほど、かえって身動きが取れなくなることもあります。
失敗しないように、遠回りしないように、間違った方向へ進まないように。そうやって慎重になるうちに、いつの間にか、進むことそのものが難しくなってしまうのです。
本当は、もう少し単純なことなのかもしれません。
今できることを、今する。
必要なものを受け取り、必要のないものは抱え込まない。先のことを考えすぎず、目の前の一日を生きる。
言葉にすると簡単ですが、私たちにとっては、なかなか難しいことです。
まっすぐでなくても
もっとも、植物がいつもまっすぐ伸びるとは限りません。
光を求めて曲がることもあれば、障害物を避けて伸びることもあります。風に揺れ、ときには折れることもあるでしょう。
それでも植物は、自分が曲がってしまったことを悔やんだり、ほかの植物のように伸びられないことを嘆いたりはしません。
そのときの環境の中で、できるように育っていきます。
そう考えると、美しいのは、まっすぐな形そのものではないのかもしれません。
まっすぐでも、曲がっていても、そこに無理がないこと。自分を何か別のものに変えようとせず、与えられた場所で、自分の生命を生きていること。
私たちはつい、成長するためには何かを足さなければならないと思いがちです。もっと知識を身につけ、もっと努力を重ね、もっと立派な自分にならなければ、と。
けれど、成長とは、必ずしも何かを付け加えていくことばかりではないのでしょう。
余計な力を抜いたとき、もともと自分の中にあったものが、自然に動き始めることもあるのかもしれません。
水の入った小さな容器から、今日もアボカドの茎が伸びています。昨日と比べれば、ほんのわずかな変化ですが、それでも確かに育っています。
急ぐこともなく、ためらうこともなく。
ただ、伸びていく。
その姿を見ていると、もう少し肩の力を抜いて生きてもいいのかな、と思えてきます。

