― 始めるまでのハードルを、できるだけ低く ―
ヨガを続けるために必要なのは、毎日きちんと練習する強さではないのかもしれません。
やる気のある日もあれば、ない日もある。
身体が軽い朝もあれば、なんとなく億劫な朝もある。
そんな日にもヨガを生活から遠ざけないために、できるだけ小さく始めてみる。
太陽礼拝、一回だけ。
それくらいなら、今日もできる気がします。
ヨガをしたくない朝もある
朝、目が覚めて。
今日はヨガ、面倒だな。
そんなふうに思う朝があります。
毎日のようにヨガをしていても、ヨガを教える仕事をしていても、あります。
身体が重かったり、眠かったり。
なんとなく気分が乗らなかったり。
マットを敷くことさえ、少し面倒に感じる朝もあります。
でも不思議なことに、始めてしまえば、終わったあとに「やらなきゃよかった」と思ったことはありません。
これは、たぶん100%。
長くやらなくてもいい。
いつもの練習ができなくてもいい。
少し身体を動かして、少し呼吸をして。
やってよかったな、と思います。
太陽礼拝、一回だけ
そんな朝は、最初からちゃんとヨガをしようとしないことにしています。
「30分やろう」
「今日はここまでやろう」
そう考えると、それだけで少し億劫になるからです。
だから、もっとハードルを下げます。
太陽礼拝、一回だけ。
それならできそうな気がします。
なんなら、マットだって敷かなくていい。
部屋着のまま、いつもの床で始めてしまえばいい。
一度、両手を上げて。
前屈して。
身体を動かしながら呼吸をしていると、もう一回くらいやろうかな、と思うことがあります。
もう一回やったら、少し立位もやろうかな。
気づけば、いつもの練習になっている日もあります。
もちろん、本当に一回で終わる日があってもいい。
大切なのは、予定していたメニューをこなすことではなくて、一度、自分の身体と呼吸に戻ることなのだと思います。
始めるための準備を、なくしてみる
何かを習慣にしようとすると、つい「ちゃんとやる」ための準備を増やしてしまいます。
着替えて。
マットを敷いて。
時間を確保して。
今日は何をするか決めて。
でも、その準備そのものが、始めるまでの壁になることもあります。
だったら、ときどき全部なくしてしまえばいい。
マットを敷かなくてもいい。
ヨガウェアに着替えなくてもいい。
30分なくてもいい。
太陽礼拝を一回するだけなら、ほんの数分です。
それでも、始める前と終わったあとでは、呼吸も身体も少し違っています。
その小さな変化を知っているから、また次の日も戻ってこられるのかもしれません。
やる気があるから、やるのではなく
ヨガを続けている人は、毎朝やる気に満ちてマットに向かっている。
そんなことは、たぶんありません。
少なくとも、僕は違います。
やりたくない朝もあるし、面倒な朝もある。
それでも続いているのは、意志が強いからというより、始めるところを小さくできるようになったからなのかもしれません。
「今日はちゃんとやる」ではなく、
「一回だけやってみよう」
それくらいでいい。
マットの上だけが、ヨガではない
太陽礼拝を一回して、そのまま終わる。
それを「今日はヨガができなかった」と考えるのか。
それとも、「今日も少し、自分に戻れた」と考えるのか。
ヨガを長く続けていくなら、僕は後者でいたいと思います。
できる日は、たっぷりやればいい。
できない日は、小さくやればいい。
そして、どうしてもできない日は、休めばいい。
ヨガを生活の中に置いておくために、毎回立派な練習にする必要はありません。
億劫な朝は、
太陽礼拝、一回だけ。
マットすら敷かなくてもいい。
そうやって始めてみると、たぶん今日も終わったあとに思います。
やってよかったな、と。


